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『ほんとうの憲法 ──戦後日本憲法学批判』 感想

 

概要

日本の憲法学では、国民が権力を制限することが立憲主義だとされてきた。憲法9条が国際法を超越した存在であるかのように語られ、自衛隊日米安保を否定し、安全保障を語ってはならない裏事情があるかのように扱ってきた。なぜこのような憲法学がまかり通るようになったのか。それを問い直す本書。

 

日本国憲法の三大原理?

日本国憲法は、前文で書かれている精神を基調としている。前文は具体的な条項を定めているものではないが、憲法解釈の指針とすべき思想が書かれている部分である。そこで書かれている思想こそが、憲法の基盤である。

前文では、日本国憲法の原理と目的が宣言されている。

日本の憲法学は、この憲法前文において国民主権が宣言されていることに、際立った注意を払ってきた。そして憲法では三大原理、つまり国民主権基本的人権の尊重平和主義の三つが謳われている。

しかし、前文を読めば三大原理説が必ずしも自明でないことがわかる。まず憲法学者がによって原理とされているもののうち、平和主義に相当するのは原理というよりも戦争の回避の決意や念願という目的のことである。

なぜ日本国憲法が制定されたのか、その理由は前文において示されている。

国際社会との協調諸個人の自由、そし戦争の回避憲法制定の目的である。これらは原理ではない。なぜ憲法の制定するのかという理由であり、目的である。

 

憲法の原理

日本国憲法において、原理として示されているのは何だろうか。

日本国憲法において明示されている原理は、ただ一つ、国政は国民の厳粛な信託によるということである。

英米思想は、国民が国家の最高権力者だということを強調せず、人民と政府の間に結ばれる信託関係を強調する。政府が契約関係によって成立しているものであることを強調する。この人民と政府の間の関係を規定し、国の根本的な仕組みを定めた信託契約を、人民も政府も共に根本原理として遵守する。そのような基本的な仕組みの遵守を根本規範と考えるのが、立憲主義と呼ばれるものである。

国民主権論の名の下に、ひたすらに政府を制限しなければならないことだけを唱える日本の憲法学における立憲主義は、日本国憲法が前文で謳っているような立憲主義とは異なる。

 

 

目的

信託契約は何を目的にしてなされたものであろうか。最も普遍的には社会構成員の権利をよりよく守るために、信託契約がなされる。日本国憲法において最も崇高な権威を持つのは、基本的人権である。また生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利である。この権利を享受する恩恵を確証することが、日本国憲法の原則である信託としての立憲主義が目指す目的である。

前文には、さらに二つの目的が示されている。諸国民との協和及び戦争の回避である。

戦争の回避の目的は戦争の回避という原理があるから、戦争するかもしれない自衛隊違憲だというべきでなく、戦争の回避を達成するという目的に沿って戦力不保持の条項を解釈するべきである。

日本の憲法学では、世界の最先端を走っているのが日本で、世界の国々は日本の平和主義の原則を見習うべきだといった独善的な思想が普通になってきた。

しかし、戦争の回避とは原理ではなく、達成すべき目的である。

 

国際協調主義

立憲主義の根幹を構成する信託が、日本国憲法唯一の明示的に定められた原理である。ただし、もう一つ政治道徳の法則と描写されている事柄がある。国際協調主義と呼ばれるものである。

日本は戦争を起こし、政治道徳の法則に従う責務を果たさなかったため、自国の主権が奪われてしまったのである。したがって国際協調主義とは、日本が主権を回復して独立国に復帰するための条件と言っても良い。

憲法9条よりも前文の国際協調主義の方が、日本国憲法の考え方を特徴付けていると言ってもよい。日本の憲法学では、憲法9条を必要以上にロマン主義的に捉え、世界でも類例のない画期的な規定であると説明する。しかしそれは憲法学者ロマン主義的な9条解釈による後付けの工作物であり、本当の憲法9条は最初から国際協調主義的なものだったというべきである。

国際協調主義こそが、憲法9条を通じて遵守することを強調しようとした政治道徳の法則である。日本が生き残るための国際社会に向けて協調の姿勢をアピールするために作られたのが、憲法9条である。

 

二重契約

日本国憲法は、戦後平和構築の論理にしたがって、二重の社会契約を達成するものであった。一つは、人民と政府の間の統治契約である。もう一つは、日本と国際社会との間の国際契約である。

戦後の日本で行われた平和構築の政策の体系を見れば、日本国憲法に国際契約の論理が内包されるようになったことは、当然というべきである。

 

日本国憲法の捉え直す三つの視点

第一に日本国憲法が、戦争が破綻した政策に基づくものであったという洞察から出発し、国のあり方を作り直し、二度と同じ失敗を繰り返さない、という政策的目的に沿って作られたものであるという点である。

第二に、多くの日本の憲法学者たちは、意識的であるか無意識的あるかを問わず、20世紀後半に成立した国際法を誤解してきた。戦争放棄を定めた憲法9条は世界でも画期的な条項だと述べる時、1945年国連憲章の2条4項で武力行使が一般的に違法とされていることを無視する。

国連憲章によって確立された20世紀後半の国際法から見れば、憲法9条の戦争放棄の条項に、何ら新しい要素はない。

憲法9条は、国権の発動としての戦争や交戦権なる19世紀のしか放棄していない。したがって国連憲章で合法的だとされる集団安全保障と自衛権の行使については、放棄していない。

第三に、日本国憲法の起草したGHQアメリカ人であったことは知られている。解釈にあたって重要なのは、日本国憲法アメリ憲法思想の伝統の強い影響下で起草されたという点である。

日本国憲法アメリカ人や改憲論者の影響下から引き離すため、憲法をあえて抽象的な19世紀ドイツ国法学の概念構成を当てはめて読み解き、フランス革命時の議論を参照して読み解こうとしてきた。

結果として、日本国憲法の解釈にあたって英米立憲主義を参照し、英米法の伝統を基本にすることが適切なのではないかというは無視されてきた。

 

日本国憲法の後追い

憲法学では、憲法優越主義を掲げて、あたかも憲法によって国際法を否定することも容易だと言わんばかりの議論がされる時もある。だがそれは憲法の精神に反する。日本国憲法は、国際協調主義に基づき、憲法国際法の調和を求めている。

1947年に日本国憲法が、先に成立していた1945年国際連合憲章を後追い的に追認するものであったことが判明してくる。

 

平和国家に作り替える

日本は連合諸国に敗れ去った、いわばならず者国家である。ならず者国家平和国家に作り替えるための規定が9条であり、平和国家に生まれ変わったことを誇るべきであるとしても、9条を持っていることが日本の誇らしい行為の結果だと誤認すべきではない。

 

憲法9条の価値

憲法9条の価値は、斬新で画期的な理念によって国際法を主導することになるのではない。憲法9条の価値は、かつて国際法を無視して侵略行為を繰り返した日本を、平和主義国家化するのに貢献したという具体的な政策的効果によって、発揮された。

 

高柳賢三の述懐

内閣憲法調査会の会長を務めた高柳賢三は、新憲法の草案が明らかになった時の感想を次のように述壊した。「私は日本国憲法ができるときに、勅選議員として貴族院憲法討議に参加したが、新憲法の草案を見て、これは英米法的な憲法だなと思った。その時からこの法を日本法律家が妥当な解釈するまでには混乱が起こるだろうと感じをもっていた。この予感は間違いないことが段々分かってきた。例えば戦争放棄の第9条の解釈でこれが現れた。」

憲法施行から70年が経過してもなお、混乱を終息することない。

 

法律家共同体のコンセンサス

主権者である国民を錦の御旗に掲げて政府の制限すべきことを繰り返し、具体的内容については法律家共同化のコンセンサスに委ねることが、立憲主義というべきものなのか。抽象的には主権者である国民が、具体的には東大法学部出身者たちを頂点とする法律家共同体の指導の下に国権を制限すると、立憲主義となるというテーゼは妥当性があるものなのか?

 

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