概要
本書の狙いは、天皇の歴史と正統性について多くの人に正しく理解していただくことである。
皇位継承の要素
これまでちゃんと皇位継承ができたことの要素は二つである。一つは三種の神器の継承で、もう一つは大御心の継承である。
三種の神器が正しく継承されるということと、大御心がしっかりと継承されるということ。この二つは、一見違うもののように思えますが、実は大変深く関連していることと考えていて、三種の神器が正しく継承されているからこそ、大御心が継承されていると言っていい。
国会の全会一致
天皇の御一身だからといって、譲位の特例法を制定する際には、国会の全会一致にこだわったのかというと、憲法の第六条と第七条に定められている国事行為にも関連がある。内閣総理大臣の正統性、閣僚の正統性、法律の正統性までも、日本国の統治そのものが揺らぐことになってしまうからである。
大嘗祭
大嘗祭を済ませるというのは、神による認証だと思っている。大嘗祭が行われることによって霊的な意味、宗教的な意味によっても疑いを挟む余地がなくなる。
皇位継承に際して行われる儀礼は一つひとつ意味がある。それが滞りなく行われたということは、どの視点から見ても間違いない皇位継承だったということを示している。
男系継承と女系継承
現在の天皇から父方の血筋だけを遡り、初代天皇に繋がるのが男系継承である。一方で、母方の血筋だけを遡り初代天皇につながるのが本当の女系継承である。そのような血統は存在しない。
つまり、昨今の皇位継承議論で出てくる女系天皇とは、実は女系ではなく、男系でも女系でもない天皇だということ。
女性天皇と女系天皇
女性天皇は十代八人存在したが、女性天皇はお父さんの血筋だけをたどっていけば初代天皇に繋がる。一方、いわゆる女系天皇はお父さんの血筋だけをたどっていくと、初代天皇に繋がらない。お父さんの血筋だけで初代天皇につながる人は女性天皇。お父さんの血筋だけで初代天皇につながらない人はいわゆる女系天皇で、歴史上、一度も存在したことがない。
女系天皇なるものは、実は存在せず、皇位継承議論とは、男系継承を守るか、やめてしまうか、ということなのである。
男系継承と女系天皇というかたちで論じると、あたかも性別の議論をしているようで、男女差別と勘違いしている人もいるが、違う。初代天皇からの男系継承を続けるか、男系でも女系でもない天皇を認めるか、ということを論じている。
神話の扱い
皇位継承はあくまで神武天皇を起点に考える。天照大神とどう繋がっているかではなく、神武天皇とどう繋がっているかが重要である。
帝国憲法制定に最も深く関わった井上毅が、同じことを大切にした。帝国憲法は発布勅語から条文まで神話は入れていない。よく天照大神の子孫だから天皇は尊いということを言われているが、井上毅は憲法をつくる時に徹底的に神話を排除した。
旧宮家
旧皇族から皇室に復帰していただきたいという意見がある。旧宮家をそのまま復活させる方法と、養子をとる方法の二つがある。
旧宮家を復活させる場合、対象者を誰にするかを決めるのが難しい。そもそも誰が決めるのかという問題がある。
養子であれば、養子を迎える宮家と養子となる旧皇族の当人同士で決めることができる。
また、予算措置が必要ないというメリットもある。旧宮家の復活だと、新たな宮家が増えることになるので、予算法案を先に設備しなくてはいけない。養子であれば、現行の皇室経済法で全部できる。
旧宮家をそのまま復活させる場合、皇族としての作法など、結局、後見する役割が必要になる。旧皇族を迎える新たな体制づくりは結構大変である。養子案は今の枠組みの中でできるという点が、かなりハードルが低い部分である。
天皇とは
天皇は別に表現する言葉はない。唯一、言い換えが可能であるとすれば祭り主、祈る存在である。
戦後の神道界をリードした葦津珍彦先生の書かれた本に、弟子との問答の場面が書かれている。
弟子が先生、ズバリ天皇とはなんでしょうと質問する。葦津先生は君ねえ、そんなこと言葉で説明できるものではないと言い切ったのである。
権力と権威
日本の場合、権力を手に入れたら、権威は借りることができる。太政大臣や征夷大将軍などに任命されて政治を行うというのは、天皇から権威を借り受けることなのである。権力と権威を一挙に手に入れることができる。こんな合理的な国家体制は世界で日本にしかない。
だから天皇を倒す意味がない。倒せば、天皇に代わる権威を一からつくらないといけないので、膨大な時間と労力を必要とする。
世界で一番古い
一つの王朝が二千年も続いた例は日本以外にはない。
日本の次に古い王室といわれるデンマークは西暦の936年頃に始まったとされている。少なくとも見積もっても日本はデンマークより約千年古いことになる。
世界断トツに古い歴史をもつ国が日本である。
昭和天皇
マッカーサーが連合国軍最高司令官として日本にやってきた時、昭和天皇はすぐに会見したいと申し出られました。
君主というのは、いざ、革命、敗戦、政変などがあったなら、生命と財産の保全を求めて、海外への逃亡を図るのが世界の常識である。
ところが、昭和天皇は開口一番、開戦の全責任は自分にあるとご発言され、自分の身はどうなってもいいから、国民を救ってほしいと仰せになった。マッカーサーはその言葉に骨の髄まで感動したなどと書き残している。
皇室典範
皇室継承のルールを定めているのが皇室典範という法律である。
憲法と共に皇室典範を制定する責任者であった伊藤博文は憲法義解で、皇室典範は歴代天皇により引き継ぎ、子孫に伝えるもので、君主が任意に作るものではなく、また国民が干渉するものではないと記している通り、これまで文字には書かれず慣習法として運用されてきたものを、明文としたもので、誰かが任意につくれるものではないと述べる。
11宮家
昭和20年に第二世界大戦で敗戦した日本は、GHQの占領下に置かれてた。占領期間中に行われた政策の一つが昭和22年の11宮家の廃止である。
戦前には14宮家があったところ、GHQによる皇室財産の重税措置などにより、昭和天皇の弟であった秩父宮、高松宮、三笠宮を除く11宮家が皇室離脱を余儀なくされたのである。
これら11宮家は皇室離脱する前は当然に皇位継承資格があり、現在もその男系子孫が数多く存在している。
世系
皇室には天皇及び皇族の身分に関する事項を記載した皇統譜というものがある。ここにもう一つ大事な数字が記されている。これが世系である。
皇統譜に記されている全ての天皇及び皇族には世系が付されている。例えば、今上天皇は世系第78、上皇陛下は世系第77。世系第1は天照大神となる。
この数字の持つ意味は、天照大神から数えた男系の世代数となる。
皇室の歴史
アマテラスの神勅により、天孫ニニギが地上に降臨され、そのひ孫にあたる神武天皇によりつくられた国、代々天皇が治らす国が、後に日本と名付けられることになった。
つまり日本というのは、いわゆる王朝の名前であり、国の名前となる。神武天皇の即位から日本の歴史が始まり、皇室の歴史はイコール日本の歴史である。
ウィンストン・チャーチルの言葉
ウィンストン・チャーチルが残した名言があります。
過去をより遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう。
男系から女系に移行した直後はそれでいいかもしれない。しかし、真価が問われるのは、女系から女系への継承が繰り返されたときである。女性宮家創設論を述べている人は、その継承が行われるとき誰も生きていません。要するにその時どうなるかわからない無責任な発言をしていることである。
先のことなど誰にもわからない。わからないからこそ過去の実績に重きをおくべきなのである。