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『図解 渋沢栄一と「論語と算盤」』 感想

 

概要

躍動感のある心の動き、強い精神、知力の働きというものをぜひ渋谷栄一から学び、日々の活動に活かしていただきたいのがこの本の趣旨である。

 

渋沢栄一とは

渋沢栄一は江戸時代の末期に生まれ、明治時代に近代国家を建設する上で大きな働きをして日本の資本主義の父と呼ばれる。生涯500もの会社を設立し、資本主義の発達に尽力して、日本の経済の礎を築けた。

経済とは経世済民を略した言葉で、世の中をよく治めて民衆を苦しみから救うという意味をもつ。つまり経済は私たちを幸せにするためにある。その実践を主導したのが栄一である。

 

論語

栄一が学び続けたものが論語である。算盤(経済)は論語によって支えられるものであるという独自の解釈を得て、論語で商売をやってみせるという思いに至り、有言実行した。

栄一は経済界の巨人ですが、論語界の巨人でもある。

 

読書

渋沢栄一が特別な経営感覚を身につける時、強靭な読書力に支えられた知性が非常に役立つ。読書によって人間の根幹の精神が養われ、やたらと感情に流されたり突き動かされたりすることなく、言葉によって冷静に物事に対処できる知性が鍛えられる。

渋沢には本を読みながら溝に落ちたというエピソードがある。12歳の時の年始に、本を読みながら歩いていて溝に落ちて正月の晴れ着をたいそう汚して叱られたという。

 

合本組織

栄一は駿河で暮らすことになり、地元の商人たちと関わる中で、栄一は静岡藩に1つのアイデアを提案する。そのアイデアとは金融システムで、一種の銀行業務である。それによって殖産興業をはかっていこうと考えるのです。さらに、商売というものは1人の力では盛んにすることはできないので、西洋で行われていた合本組織を採用するのがいいと考える。

1869年に合本組織で商法会所を設立する。

 

 

第一国立銀行

渋沢栄一の大きな業績の1つに日本初の銀行の創設がある。第一国立銀行という名称ではありますが、民間経営の銀行である。

民間人となった栄一は500に近い企業を興し、日本の経済発展に尽力していくが、その起点となったのが第一国立銀行である。企業を興すには資金が必要である。その資金を第一国立銀行が融資する。

 

文化の興隆にも貢献

栄一は、維新を成就(じょうじゅ)させた日本がまず進めるべきは文運だと考えた。文運とは学問や芸術が盛んな状態である。教育を振興するとともに情報を広く行き渡らせ、国民を啓蒙し、日本に新しい文化が生まれる基盤を整えたいと考えたい。そのために新聞・出版を盛んにしようと、新聞・書籍・雑誌を印刷するのに適切な廉価(れんか)な西洋の紙を供給することを考える。商工業の発展だけでなく、文化の興隆にも目配りしている。

 

公共心

栄一には、正しく税を納めて経済を活性化させ、国家を支えていかなければならないという強い意識がある。

経済界の人間でありながら、その活動は国家を支えることを大前提とした。自分1人がお金持ちになろうなどという考えは毛頭ない。栄一のいう精神の向上は公共心と置き換えられる。

 

徳川家康

家康の業績は様々あるが、栄一はそこから具体的に何を学んだのか。まず栄一は家康の適材適所力が優れていた点を挙げている。家康は三河時代に、それぞれ性格の異なる3人を奉行に抜擢し、個性に応じて適材適所に配置した。彼らの動きが家康を支えたために三河三奉行として後世に伝えられた。

栄一は適材適所に心を配った人である。第一国立銀行の頭取の立場で、次々に会社をつくっていったが、それらの会社に幅広い人脈から、これぞという人材を登用した。

 

岩崎弥太郎

渋沢栄一岩崎弥太郎との間には屋形船会合事件と呼ばれる出来事があった。1878年の夏、栄一は岩崎に向島の料亭に招待される。

屋台船遊びの後料亭に戻ると、岩崎は栄一に話をもちかける。2人で事業を経営すれば日本の実業界を牛耳ることができる。2人で手を組まないかという誘いである。

要するに2人で富を独占しようという話である。これは栄一の考えと正反対の考えである。

2人は激しい言い合いになり、栄一は腹を立ててその場を立ち去ったという。

2人とも経済界の超大物だが、タイプが異なる。富を広く行き渡らせようとする栄一と、富を独占しようとする岩崎である。

 

下記書籍参照