スーパースターブログ

ひたすら興味のあることだけを書いていく雑記ブログ。

『エマニュエル・トッドの思考地図』 感想

 

概要

これまで、イギリスのEU離脱リーマン・ショックソ連崩壊など数々の予測を的中させてきた、筆者エマニュエル・トッド。筆者がなぜ時代の潮流を的確に見定め、その行く末を言い当てることができたのか。混迷の時代を見通す真の思考とは如何なるものなのかを語り明かす。

 

考えるのではなく、学ぶ

考えるのではなく、学ぶ。最初に学ぶ。そして読む。歴史学、人類学などの文献をひたすら読み、そして何かを学んだとき、知らないことを知ったときの感動こそが思考するということである。

 

知的活動プロセス

あらゆる知的活動は、基本的に入力→思考→出力という三つのフェーズで構成される。入力というのは読書などを通じたデータの蓄積、思考というのは脳内での処理プロセスのことで、着想、モデル化とその検証、分析などに細分化できる。出力というのは、言うまでもなく話したり書いたりすることでそれを伝えて行くことである。

 

すべては歴史である

とにかく歴史はすべてを含むのである。突き詰めれば社会学や人類学などもすべて歴史に含まれることなのである。政治史も軍隊の歴史も心性史(しんせいし)も、とにかくすべては歴史なのである。

筆者の場合、歴史を学ぶことは考えることにつながっている。歴史を考えるというのは人間について考えることとイコールである。

 

発見

筆者にとって思考することの本質とは、とある現象と現象の間にある偶然の一致や関係性を見出すということ、つまり発見をするということである。

 

人口データ

人口データと経済データがあった場合、筆者は常に人口データを優先的に見る。なぜならば、人口データのほうが正確だからである。人口というのは生まれるものは必ず死ぬという絶対的な法則に縛られているので、偽造することが難しい。

 

古典を読む意義

社会学歴史学や人類学といった分野で、名作、古典と呼ばれるような作品がしょっちゅう生まれるわけではない。だから、たいていはすでに亡くなった人たちの本を読むことになる。筆者は死者たちと生きているとはそういうことである。

こうした過去の書物を読むことで、現在に囚われない一歩引いた視点を持つことが可能になる。

 

比較という方法

比較とは何か。筆者にとってそれは、まずもって数値や統計の処理である。そもそも、数値というのは単独で意味を持つわけではなく、常に他の何かと比べたり、あるいは過去の別の時点のデータと比べたりするなかで初めて意味を持つ。いくつかの地域の統計データを比較することでその違いが見えてくるし、ある統計データを通時的(つうじてき)にたどることでその変化というのが見えてくる。

 

フォーマット化

日本では教育が人々をフォーマット化するということで批判が起きていると思う。日本文化が目上の者を敬うということを踏まえた規律正しい文化に基づいているため、そこに発生する問題というのは、そうした規律への圧力から知性の自由をいかに守るかということなのだと思う。それは知的な分野においての自由もそうですし、決断するというところでも見られる。

 

新型コロナウイルス

2020年5月時点で現在進行中の事態、今回の新型コロナウイルスの大流行について考えてみる。

例えば、産業を自国に残した国、ドイツや日本、中国や韓国という国々は、グローバル化の流れで自国の産業を手放したフランスやイギリスなどの国々よりも、少なくとも現時点ではこの状況を比較的に切り抜けているように見える。一方でフランスは、人口呼吸器、マスク、薬などの生産が追いつかず、後進国のようになっている。

このウイルスが明らかにしたことの一つは、グローバル化というのは社会発展の単なるステップではなかったということである。つまり、それは卑劣な金融の思惑であり、西洋社会の一部を後進国状態にしてしまった。

 

出生率

西欧社会の出生率の高さという利点は、高齢者層での死亡者数の増加よりも重要だろうと思う。もちろん高齢者を大切にするという価値観はすばらしい面もあるが、人間社会の運命というのは、生産をし、若者たちを育てるということに尽きると思う。

 

ポスト・コロナ

ポスト・コロナの世界というのは、それ以前にすでに存在していた傾向が再確認され、それが加速していくことになる。

日本に関しては、このまま表面的にはうまく収束を迎えることができるかもしれないが、そうした場合、内部の人々のある程度の満足感が得られるようになり、これまでよりもさらに、高齢者を救うことよりも子供を産むことの方が大切であるとい事実が見えなくさせてしまう可能性がある。そうした、思想的にまどろんだような状態がますます強化されるのではないだろうか。もちろん、このような傾向はすでに日本ではみられるものである。

 

予測のプロセス

筆者の経験に基づいた思考、敬虔(けいけん)主義的思考から入る。これが経験主義的フェーズ、第一フェーズである。ここで重要なのは、待つことである。物事が描写できる程度のしっかりとしたデータが集まるまで待つのである。

次に、第二フェーズ。経験主義的フェーズで得られたデータと自分自身の経験や歴史とを対比させるフェーズである。

それから第三フェーズ。これは筆者が芸術的フェーズと呼ぶ。ここでは、筆者の本能、直感、歴史家としての経験を自由に解放させ、いくつかの予測を断行する。もちろん、予測するということは経験主義から出るということである。

 

下記書籍参照