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『でっちあげの徴用工問題』 感想

 

概要

韓国大法院が2018年10月、新日鐵住金に対して朝鮮人元戦時労働者らに慰謝料として1人1億ウォンを払えとする不当判決を下した。11月には三菱重工に対する二つの訴訟で同じ判決が下った。

2019年2月末現在で、この3件を含む15件の訴訟が韓国裁判所で起こされている。訴えられた日本企業は合計70社を越え、原告は合計960人に及ぶ。

そもそも、国際法は司法を含む国内法に優先するという原則からすれば、1965年の条約と協定で解決された個人請求権を持ち出してくること自体、国際法違反である。

2019年1月8日、韓国裁判所から新日鐵住金が持つ株式が差し押さえられ、同社はその株式を処分できなくなった。

1月10日、韓国の文在寅大統領は記者会見で、日本政府は文明先進国として三権分立により韓国の判決を受け入れよと主張を行った。

筆者は約20年前、2000年頃から日本国内に反日勢力と韓国内の反日左派が手を組んで過去精算問題を使って日韓外交関係の根幹を揺さぶってくることを予測し、それに備えて、日本はきちんと歴史問題について事実関係を調査研究し、国際社会にわかりやすく広報せよと言い続けてきた。

 

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用語

朝鮮人の戦時動員は1939年から始まった。41年1月までは募集という形で、民間企業が朝鮮で募集を行うことを朝鮮総督府などが支援した。42年2月からは官斡旋、総督府が地方行政組織を使って動員者を集めた。しかし、法的な強制力はない斡旋だった。44年9月から法的強制力のある国民徴用令が発動された。だから、戦時動員全体を指す言葉として「徴用」、「徴用工」という用語はふさわしくない。

 

徴用工ではない

新日鐵住金は最初の判決が出た日、安倍元総理は国際法に照らしてあり得ない判断だと判決を厳しく批判、日本政府として毅然として対応していく方針を示した。

朝日新聞をはじめ日本のマスコミでは「徴用工判決」と報じているが、原告4人は徴用工ではない。

1人は1941年に、3人は43年に徴用ではなく「募集」「官斡旋」で来日している。なんと2人は平壌で日本製鉄の工員募集の広告を見て、担当者の面接を受けて合格し、その引率で来日したという。

 

日本統治不法論

韓国の裁判所に提訴されていた朝鮮人戦時労働者関係訴訟は、確定判決が出た3件を含め15件である。

三つの確定判決に共通するのは、未払い賃金や負傷などへの補償の支払いを命じたものではなく、不法行為に対する賠償としての慰謝料の支払いを命じたという点である。

当時朝鮮は日本領であり、朝鮮人は日本国民である。自国民を戦争遂行のため民間企業で賃労働させることは、国家としての合法的な行為である。当時の国際法は元より、現在でも合法である。

3つの判決は1910年の日韓併合条約に基づく日本の統治を不法と断じ、戦時労働動員はその不法な統治を前提にして行われたから、反人道的な不法行為だとするのだ。

日本の統治が当初から不法だったという奇怪な観念が判決の立論の根拠だったのである。そしてこの日本統治不法論こそが、日韓関係の根本を揺るがす危険な論理である。

判決の言う日本統治不法論に立って、韓国政府は、日本の不法行為に対する自国民の慰謝料請求権を放棄していないと言っている。

これが認められたら、日本統治時代のあらゆる政策が不法とされ慰謝料が発生するという収拾のつかない事態になりかねない。

 

サンフランシスコ講和条約

韓国は戦勝国ではないので、サンフランシスコ講和条約で賠償請求権を認められなかった。ただ、財産関係の精算が認められた。そこに未支給賃金や補償金などが含まれる。その精算は1965年の条約と協定で解決したと日韓両国が認めた。

韓国が戦勝国ではなかったので、たとえ不法な侵略戦争という認識に立っても、慰謝料、賠償を受け取る資格はない。

 

蒸し返された慰謝料

外交交渉では、条約や協定を結ぶときに要求しなかった内容は自らが放棄したとみなされ、締結後に蒸し返すことはできない。判決はわざわざ、自国が交渉で要求しなかったと認めている。言い換えると、それはもう国際法上、持ち出すことはできないことを自ら認めている。それなのに、今になって慰謝料云々を持ち出すこと自体が外交交渉を知らない無茶な話である。

 

国際法の現実

韓国はサンフランシスコ講和条約の締約国になれなかった。言い換えると、戦勝国と認められなかった。戦勝国は賠償を受け取る資格を得る。韓国の独立を日本に認めさせた同条約は、日本に韓国への賠償を支払うことを命じず、単純に日本の統治の終了にあたって未精算だった両側の債権債務を処理することだけを命じたのだ。これが国際法の現実である。日韓はこの上に立って15年間の長い交渉を経て1965年に基本条約と請求権協定などを結んだ。

 

国際法無視の要求

日本は韓国に膨大な民間人財産を置いてきた。それを米軍が接収し、韓国政府に引き渡した。

ハーグ陸戦法規によれば、戦勝国も敗戦国の民間財産を無償で没収することはできない。だから当初日本政府は、民間人の請求権は残っているとして、日韓国交交渉で、韓国が日本に請求できる金額より、日本が請求できる金額の方が多いという主張していた。しかし、最終的に日本は1965年の協定でその部分を放棄したうえ、無償3億ドル、有償2億ドルという当時としては巨大な資金を提供したのだ。

この時、日本が放棄したのは日本人が朝鮮においてきた財産請求権だけではなかった。戦後、韓国政府が国際法に反して一方的に引いた李承晩ラインによって拿捕された日本漁船328隻、抑留された漁民3929人、死傷者44人の人的物的被害に対する請求権も放棄した。その金額は、1964年当時の漁業者団体の算定で直接被害だけで約90億円だった。

韓国が1965年の条約と協定による請求権の処理を否定するなら、日本はこれらの日本の請求権を韓国に求めることになる。

 

政治工作

日韓関係がここまでおかしくなったのか。その背景には、日本国内の新北、反韓反日勢力が意図的に日韓関係の法的基礎を崩し、北朝鮮独裁政権に有利な状況を作ろうと40年近く働きかけてきたことがある。日韓関係を悪化させようという彼らの政治工作がまんまと成功し続けている。

 

歴史認識は一致しなくて当然

国が異なれば、歴史認識は一致しない。歴史認識には価値判断が伴い、その場面ではそれぞれの国ごとに評価が異なって当然である。あるいは、歴史認識が異なるからこそ異なる国家を作っているとも言える。したがって、日韓歴史認識一致運動は、結局、日本が謝罪し続け、反作用として嫌韓反韓感情が鬱積(うっせき)し、しかも韓国は常に満足しないという悪循環をまねく。

 

裁判を支援したのは日本人

原告らを探し出し、資金を支援して、まず日本で裁判を起こさせ、それが敗訴すると今度は韓国での訴訟を起こすように励まし支援したのも日本人弁護士や運動家だったという事実である。

15件の約7割を占める11件は、三菱重工新日鐵住金不二越の3社を相手をしたものである。これら3件は、日本に支援組織があり、まず日本で裁判が起こされて敗訴し、その後、日本の支援組織の援助を受け韓国で裁判が起こされたという共通の特徴である。

 

国立日帝強制動員歴史館

韓国政府は2015年に戦時動員をテーマにした国立博物館「国立日帝強制動員歴史館」を作っている。

国立日帝強制動員歴史館で見逃せないのは、我が国の元総理大臣をはじめとする政治家、外交官、財界人の顔写真と実名を出して、日本の当時を正当化している悪い日本人として紹介する展示である。

11人の日本人政治家、外交官、財界人が顔写真付きで批判されている。止まらない妄言と題する展示コーナーにはめ込まれたビデオの中で悪い日本人の代表のような形で、実名と顔写真、そしてその発言が1人約10秒ずつの映像で繰り返し流されていた。

 

8割は自らの意思で出稼ぎ

制度的に言うと、朝鮮人強制連行とは、1939年に国家総動員法に基づいて作られた朝鮮人内地移送計画によって、朝鮮人労働者が朝鮮から日本内地に移送されたことを指す。その動員が強制連行であり、奴隷労働だっという一方的な主張である。

当時は強制連行という言葉はなかった。強制連行という言葉は誤りである。ここでは戦時動員と呼ぶ。

朝鮮人内地移送計画については、森田芳夫氏の実証的な研究がある。森田氏は法務省と外務省の事務官として在日朝鮮人に関する実証的な調査研究にあたり、公式統計を駆使した重要な研究を発表している。

1938年末にすでに80万人の朝鮮人が日本に渡っていた。そして、1945年8月にその数は200万人に増えた。

終戦当時、動員現場にいた朝鮮人労務者は32万人だった。動員労務者統計に含まれない朝鮮人の軍人・軍属が終戦時に内地に11万人いた。これを合わせると43万となり、終戦時の在日朝鮮人人口200万人のうち22%となる。

これは何を意味するのか。終戦時の在日朝鮮人人口200万人のうち8割は、自らの意思で日本に渡ってきた出稼ぎ移住ということである。

 

不正渡航

戦時動員の始まった1939年から1942年までの4年間で不正渡航を発見された者が2万3000人、送還者が1万9000人とむしろ戦時動員中に不正渡航が急増している点である。

もしも、同じ時期に朝鮮から無理矢理労働者を連行していたのなら、なぜ2万人近くを送り返したのか説明がつかない。

 

強制連行の子孫でない

事実を無視する人々は、在日韓国、朝鮮人は、戦時中に労働者などとして強制連行された者とその子孫だと主張し続けている。

終戦後200万人いた在日朝鮮人のうち約150万人が帰国した。日本政府はまず軍人・軍属、戦時動員された労働者を優先して引き揚げさせた。従って、これらの人たちは日本在留を希望した例外的ケースを除き、みんな朝鮮に帰っていったのだ。日本に残留した50万人は日本に早くから渡航し、生活基盤を築き上げていた者が大部分であった。

在日朝鮮人は強制連行の被害者だという主張は、1960年代以降に流布したものである。

 

歴史認識問題は4つの要素

歴史認識問題は4つの要素が絡み合って、事実無根の日本を非難する反日歴史認識が外交を阻害し、我が国の名誉と国益を大きく傷つている。

第一に、日本国内の反日マスコミ、学者、運動家が事実に反する日本非難キャンペーンを行った。

第二に、それを中国と韓国両政府が正式な外交問題にして内政干渉的要求を押し付けた。

第三に、我が国の外交当局が反論をしなかったことで事態を悪化させた。

第四に、内外の反日活動家が事実無根の日本非難を国際社会で拡散した。その結果が我が国と我が祖先の名誉が傷つけられ続けている。

 

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