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『父の謝罪碑を撤去します 慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白』 感想

 

概要

「父が韓国で建てた謝罪碑を撤去しようと思います」

謝罪碑とは、昭和58年12月、吉田清治氏が韓国忠清南道(チュンチョンナムド)天安市(チョナンし)望郷の丘に建立したものだ。清治(せいじ)氏は、その除幕式に出席し、私費で建てたとされるその謝罪碑の前で土下座した。

「たった一人の謝罪(写真付)」(朝日新聞)のように、新聞テレビなど各メディアで取り上げられた。

平成26年8月5日、朝日新聞は朝刊一面で「慰安婦問題の本質 直視を」と自社の立場を説明する記事を掲載したうえで、16、17面の見開き全面を使って「慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます」と題する同問題の検証記事を掲載した。80年代から同紙が執拗に報道してきた慰安婦問題の記事について、各界から疑問や批判があり、やむなく対処した格好である。

ここで朝日新聞は、初めて慰安婦狩りをしたと話してきた吉田清治氏の証言を虚偽と判断、16本の記事を撤回したが、二日続いた検証記事では謝罪の言葉がなく、9月11日、ついに木村社長や杉浦取締役らが会見を開き、一部謝罪するに至った。

朝日新聞が取り消した記事の一本、「たった一人の謝罪」は非常にインパクトのある記事である。

清治氏の長男は、この時父親が建てた謝罪碑を撤去するという。

 

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ウィーン条約違反

日韓合意の後にもかかわらず、慰安婦像を総領事館前に建てて恥じない国柄でもある。そもそも反日の象徴である像を日本の大使館や領事館前に建てることは外国公館の安寧と尊厳を守るウィーン条約に違反である。

 

奥茂治氏

長男一人では難しいので代理人をたてることに奥茂治(おくしげはる)氏に相談したら、代理人を引き受けてくれることになった。

奥茂治氏は実に不思議な人物である。戦後、尖閣諸島に最初に本籍地を移した人物といえば思い当たる人もいるかもしれない。

自衛官で、現在は南西諸島安全保障研究所所長。だが彼が自衛官だったのは5年間で、その後は予備自衛官として43年間連続して訓練招集に応じている。また、民間の立場から自衛隊を支援し続けてきた異色の経歴を持つ。

 

現地視察

謝罪碑は横幅120センチぐらいの大きなもので、日本によくある碑の世に地面に対して垂直に建てられているのではなく、コンクリートの地面にぺったりと埋め込まれている。

長男に現場の状況を説明し、最終的な結論として謝罪碑の文言を書き換えるしかないということで落ち着いた。

 

独立記念日

三・一独立記念日とは、日韓併合時代の朝鮮で、1919年の3月1日に始まったとされる独立運動に由来する。

言うまでもないが、1919年から始まったとされる独立運動で韓国は独立したのではない。同胞として先の戦争を日本人と共に戦った韓国は、日本の敗戦によって米ソに三十八度線を設定され、南北に分断されることになる。アメリカの軍政から脱し、南に韓国政府が樹立したのは、終戦から3年後、1948年8月15日になってからである。

 

書き換え

元の謝罪碑に貼り付けたのは、横120センチメートル、縦80センチメートル、厚さ3センチの巨大な石である。

一枚にすると重くて持てないので3個に切断し、吉田氏の謝罪碑に大理石用の接着剤を塗って貼り付けた。

事前調査で、慰霊碑の書き換えならびに撤去は管理事務所に17万5000ウォンを払えば事務所のほうで全てやってくれるということがわかった。そうであれば、慰霊碑の書き換えの権限は遺族にあることがわかったので、代理人が謝罪碑に手を加えることは法的に問題ない。

書き換えた石碑には、ハングルで次のように書かれた。

「慰霊碑 吉田雄兎 日本国 福岡」

また長男は代理人を通じて、「望郷の丘 施設管理人」宛に碑文変更届けを送付した。

 

クマラスワミ報告書

朝日新聞が記事を取り消しても、吉田証言を根拠とするクマラスワミ報告書が撤回されていない。

クマラスワミ報告書は1996年、国連人権委員会の決議に基づいて提出された日本の非難勧告書である。そこでは、第二次世界大戦終了時で行われた米軍の慰安婦などへの聞き取り調査と共に、吉田証言が重要な証拠として出てくる。

朝日新聞が吉田証言の記事を撤回しようとも、国際的には事態が全く改善されていない。

 

本人の証言

虚偽であることは、朝日新聞を待たずともはっきりしていた。当の清治氏自身が、週刊新潮の取材でこう答えている。

「まあ、本に真実を書いても利益もない。関係者に迷惑かけてはまずいから、カムフラージュした部分があるんですよ。真実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやってることじゃありませんか。チグハグな部分があってもしょうがない」

 

戸塚氏を国連へ

本岡昭次(もとおかしょうじ)氏は元参議院議員で、平成13年には参議院副議長となった。昭和55年、旧社会党議員として当選し、社会党財政局長を経て、平成10年に民主党に鞍替え、民主党参議院議員会長を務めた。

本岡氏について産経新聞が解説している。

<「日本で問題にならないなら、ジュネーブの国連委員会に議論を持ち込もう」

こう考えた本岡が白羽の矢を立てたのが、英語に堪能で、国連に人脈を持つ弁護士、戸塚悦朗だった>

戸塚悦朗氏は、国連人権委員会慰安婦問題を取り上げるよう働きかけ、慰安婦=性奴隷だと初めて主張した人物である。その人物を国連に送り込んだのが本岡氏だというわけである。

 

北朝鮮の動き

1992年8月には北朝鮮で朝鮮日本軍性的奴隷及び強制連行被害者補償対策委員会が組織された。92年2月の南北首相級会談で、北朝鮮慰安婦問題を南北で共闘できないか働きかけ、韓国側が受け入れた流れである。

 

女子挺身隊の名

本岡昭次氏は平成3年4月1日の参議院予算委員会において、次のように述べている。

<政府が関与し軍がかかわって、女子挺身隊の名前によって朝鮮の女性を従軍慰安婦として強制的に南方のほうに連行したということは(後略)>

「女子挺身隊の名」で強制連行というフレーズの原型は、吉田証言にある。

昭和57年の朝日新聞の記事にこうある。

<吉田さんは「体験したことだけお話します」といって切り出した。

朝鮮人慰安婦皇軍慰安婦女子挺身隊という名で戦線に送り出しました。(後略)」>

これまで後々まで続く「女子挺身隊の名で」強制連行という朝日の誤報の始まりである。だが、朝日はそうは考えていない。

朝日は韓国では挺身隊は慰安婦を指す言葉として用いられていた、他社も流用しているなどと言い訳をしたが、「朝日新聞慰安婦報道』に対する独立検証委員会」は報告書で<社説で女子挺身隊の名で強制連行という虚偽を書いたのは、全国紙では朝日だけだ>と断じている。

 

慰安婦問題の原点

実は慰安婦問題の前に、樺太残留韓国人帰還請求裁判(通称サハリン訴訟)があった。

筆者は新井佐和子さんに取材を行った。新井さんは元サハリン再会支援会代表で樺太残留韓国人問題に詳しい。

新井さんの指摘を整理すると、樺太残留韓国人帰還請求裁判終結の2年後、91年に突如として慰安婦訴訟が始まる。日本政府は樺太残留韓国人帰還問題で約80億円以上、慰安婦問題のアジア女性基金で設立から解散までの間に外務省の概算によると約48億円も国庫から拠出した。国民からの浄財(じょうざい)は約6億円である。

ちなみに新井さんの取材によれば、サハリン支援金はいまだに払い続けており、2017年度は1億1100万円だという。

ともかく、樺太慰安婦問題では莫大なカネが動いた。これでは戦後補償産業である。

清治氏は昭和57年9月と11月に樺太裁判で証言した。

昭和57年9月30日、清治氏は樺太裁判の法廷に出廷し、「済州島チェジュとう)へ行って204人の若い女性を連行し、サハリンにも送った」と証言している。

朝日新聞の「たった一人の謝罪」にはサハリン在留韓国人の遺家族を前に土下座する吉田清治さんとキャプション(説明文)がついている。

つまり、慰安婦問題の原点はサハリン問題に通底しているということだ。

 

下記書籍参照