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『米国人弁護士が「断罪」 東京裁判という茶番』 感想

 

概要

本書が、東京裁判の問題点のみならず、第二次世界大戦の真実や、戦後体制の問題点について、証拠に基づいた冷静な議論を行うきっかけとなることを希望しているとのこと。

 

真珠湾攻撃

真珠湾攻撃は、決して日本の奇襲攻撃ではなかった。

ルーズベルト大統領を始めとして、アメリカの政権中枢にいた者たちの一部は、1941年12月7日の日本軍の真珠湾攻撃を事前に知っていた。

日本軍の動きは暗号解読により、把握されていた。ルーズベルト日本海軍航空部隊が、真珠湾を12月7日早朝に、空襲することを把握していながら、それを逆に利用した。アメリカが日本から卑屈な騙し打ちを受けたように演じた。ルーズベルトは、恥辱の日という大統領演説を行なったが、これは対日宣戦布告を正当化するための芝居であった。

 

プロパガンダ

極東国際軍事裁判が、東京裁判の正式名称である。

1946年4月29日。つまり昭和天皇天皇節だった。

判決文の朗読が始まったのが、紀元節、つまり、現在の建国記念日にあたり、いわゆる「A級戦犯」として、死刑判決を下された7名が絞首刑に処せられたのが、当時の皇太子の誕生日にあたる、昭和23年12月23日だった。

アメリカは、どうしてもアメリカの戦争犯罪行為を糊塗(こと)したかった。日本こそが戦争犯罪国家であり、アメリカは正義の味方だと、世界に宣伝したかったのだ。まさにプロパガンダそのものである。

 

外交カード

昭和20年8月の終戦から、昭和50年4月までの30年弱の間に、歴代8人の首相が計31回の靖国神社参拝を行っている。

三木武夫首相が昭和50年8月15日の終戦の日に参拝したとき、朝日新聞は初めて政教分離を絡めて、批判的な報道を行なった。これ以降、新聞などの批判的新聞は徐々にエスカレートし、今では中国や、韓国が外交カードに用いるようになった。

 

赦免

いわゆる戦犯とされた方々は、戦後に全員が赦免されている。

1953年8月3日、衆議院本会議で可決した戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議によって、赦免が実現した。

日本には、いわゆる「A級戦犯」のみならず、戦争犯罪人は存在しなくなった。それにも関わらず、「A級戦犯」が靖国に合祀されているから、云々ということそれ自体が、国会決議を軽視した発言である。

 

犯罪国家に仕立て上げた

東京裁判では平和に対する罪と、人道に対する罪などという、それまで存在しなかった事後法をわざわざつくり出してまで、アメリカは日本を裁いた。

罪刑法定主義という、法治主義に欠かせない大原則を破ったものであり、それこそ正に、無法の誹りを免れない愚行であった。

 

条件付き降伏

日本は、連合国が発したポツダム宣言を受託して降伏した。そのことを、日本人の多くは、日本は無条件降伏をしたと、誤解している。

日本は無条件降伏などしていない。

日本は、降伏条件が明示された、ポツダム宣言を受託することで、降伏したのだ。

その第五条には次の文がある。

五.我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることもない。執行の遅れは認めない。

ここには連合国が、この条件から外れるようなことは、絶対にしないと、書いてある。

つまり、ポツダム宣言は、日本に条件付き降伏を求めていたということである。

第七条には、「第六条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする」とある。

つまり、日本全国を占領することはしない。日本が、われわれの要求する、条件を達成するまで、連合国側は、いくつかの地点を占領するという、条件を出しているのだ。

したがって、アメリカが日本全国を占領したということは、重大なポツダム宣言違反である。

十三条には、「我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである」と書いてある。ここでの無条件降伏とは、全日本軍の無条件降伏を要求しているのであって、日本国としての無条件降伏は求めていないのだ。

 

ペテン

日本はアジアを侵略した罪によって、裁かれた。ところが、裁判劇が進められていた最中に、イギリス、オランダ、フランスは、マレー半島インドネシアベトナムを再び植民地として支配するために、侵略戦争を戦っていた。

このことを一つをとってみても、連合国のペテンは明白だった。

 

戦争犯罪

米空軍は最初、九千メートル付近の高高度から軍需工場や、軍港を狙う昼間爆撃を行っていた。これを一千五百メートル未満の低空から、焼夷弾を用いて都市を丸ごと焼き払うという、無差別の夜間爆撃へと方針を変更したのは、カーチス・ルメイ空軍大将である。

彼は後に、「もし、戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことに、われわれは勝者になった」と語っている。自分が戦争犯罪を行っている意識、すなわち確信的故意が、明確にあったのだ。

 

日系アメリカ人

真珠湾攻撃によって、日米の戦端が開かれると、大統領行政命令によって、十二万人以上にのぼる、アメリカ国籍を持つ日系アメリカ人が、敵性外国人として、財産を全て没収された上で、身の回り品だけ持つことを許されて、全米十カ所の僻地に設けられた強制収容所に送り込まれた。

これは、法の下の平等を定めた、アメリカ合衆国憲法修正第十四条に対する、重大な違反だった。

 

 

物理的スペース

A級戦犯」の被告は、どのような基準で決まったのか。被告は28名だった。

この28名という被告の数は、あろうことか、東京裁判の法廷で、被告のつく座席を並べることのできるスペースに合わせて決められたのである。

法廷は、東京裁判の被告の選定と同時並行で、内装工事が急ピッチで進められた。当初、最終的な被告の数は、ソ連の要望などもあり、30名と決定した。ところがその後に、法廷の被告側は、28しかつくれないことが判明した。

そこで、被告の数は、急遽、30名から28名へと減らされたのである。

 

ヴェノナ文章

『ヴェノナ文章』は、1940年から1944年にかけて、アメリカで活動するソ連のスパイが、本国と暗号電文で行った交信を、アメリカ陸軍が密かに傍受したものを、アメリカのNSAと、イギリス情報部が、協力して解読した「ヴェノナ作戦」に関連する文書のことである。

それがアメリカで公開された。

『ヴェノナ文章』を読めば、日本が侵略戦争を起こしたなどということは、アメリカ側が史実を糊塗するためのプロパガンダに過ぎなかったことが、明白になる。東京裁判史観を否定する証拠を、アメリカの国家安全保障局とFBIとCIAが、公開したのである。

 

東京裁判史観

マッカーサーは、東京裁判で「A級戦犯」とされた7人の被告が処刑された、わずか2年半の後に、アメリカの軍事外交の最高機関である上院軍事外交合同委員会の場で、次のように証言した。

「彼ら(日本人)が、戦争に突入した目的は、主として自衛のために余儀なくされたのである」

 

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