スーパースターブログ

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古代

前方後円墳

三世紀前半に、90メートル級の巨大な前方後円墳がほぼ同時に5基造られた。これが古墳時代の幕開けである。

これほど大きな古墳が造られるということは、一定の規模の国を治める大王が存在していたことを示している。

 

大和朝廷

大王は後に天皇と呼ばれる。現在の天皇陛下は、この時代の前方後円墳に埋葬された大王の男系の子孫にあたる。このときに成立した王権をヤマト王権という。これは、まもなく統一王権となる大和朝廷の前身となる王権である。

大和朝廷は現在の日本国と連続する国だが、日本国の起源は、考古学では三世紀前半までは確実に遡ることができる。

 

魏志倭人

近畿地方に巨大前方後円墳が造られはじめた三世紀、支那王朝の史料に日本の記述がある。『魏志倭人伝である。これには、邪馬台国の女王卑弥呼が魏の都に使者を立てて朝貢し、これに対して皇帝は「親魏倭王」の称号を与え、銅鏡100枚を与えたと記述されている。

邪馬台国卑弥呼は、日本側の史料ではいっさい確認できない、また中国側の資料でも倭人伝とそれを引用した文献にしか現れない。大和朝廷との関係もまったく不明である。

 

謎の四世紀

三世紀から四世紀にかけては、ヤマト政権がその勢力範囲を拡大させ、日本列島の大半を治める統一王権である大和朝廷に発展した世紀である。

しかし、この時代の日本については文字による史料がないので、詳細は分からないことが多い。

百済の王子が天皇に送ったとされる369年の七枝刀銘文と、高句麗の391年の好太王碑文に日本のことを記した文字がある。

今のところ、四世紀の日本の様子を語る文字史料は国内以外含めてこの二点しか発見されていない。

 

朝鮮半島との関係

平成3年には朝鮮半島南西部を流れる栄山江流域に前方後円墳が発見され、これまでに14基が確認された。日本列島以外で前方後円墳が発見されたのはこれが初めてである。大和朝廷がこの地域と密接な関係を持っていたと考えられる。

 

聖帝(ひじりのみかど)

日本の歴史上、仁徳天皇は「聖帝」と讃えられている。

民に苦労をかけないために、仁徳天皇の宮殿に質素で飾り気もなく、屋根の葺いた茅(かや)を切り揃えることもしなかった。

日本書紀』には次のような逸話が収録されている。治世四年の春、仁徳天皇が高台から遠くをご覧になったときに、人家から煙が立っていないことにお気づきになった。

民が貧しいから竈の煙も立ち上らないのではないかとご心配になった天皇は「五穀が実らず、民は困窮しているのだろう。都ですらこの様子であるから、地方はもっと困窮しているにちがいない」とお嘆きになり「今から三年、すべての課税と役務を止めて、民の苦しみを和らげよ」と詔を発せられた。

三年の後には民の生活は豊かになった。

そのころ、諸国の民が、自分たちは豊かになったので、税を納めて宮殿を直さなくては天罰があたるといって、税を納めようとしましたが、天皇はこれをお許しにならなかった。

それからさらに三年が経過して天皇はようやく課役を命じられた。

 

5世紀の支那は、漢民族南朝と、遊牧民北朝に分かれて覇権を争う南北朝時代にあたる。宋の正史『宋書倭国伝には、倭国が10回使者を送ってきたことと、大和朝廷の支配領域が拡大していったことが書かれている。

 

新嘗祭

古墳時代には鉄製の農具が普及し、水田耕作がより盛んになった。春には豊作を祈願する祈念祭、そして秋には収穫を神々に感謝する新嘗祭が行われるようになる。

毎年、宮中では2月17日に祈念祭、11月23日に新嘗祭が行われ、天皇陛下が祈りを捧げていらっしゃる。また、御即位の後の最初の新嘗祭大嘗祭と呼ばれていて、天皇の即位儀礼の中では特に重要な意味のある祭祀とされている。

 

聖徳太子

隋が成立してまもなく、初の女性天皇となる第三十三代推古天皇が即位し、推古天皇即位元年に皇族の聖徳太子が皇太子となり、天皇に代わって政治を行う摂政の役割を担う。

聖徳太子は、603年に冠位十二階を定めた。これは、役人の位を十二段階に分け、冠の色で識別できるようにし、さらに従来の出生により職業が決めていた制度を改め、優れた人材を役人に登用できるようにしたものである。そして、604年には役人の心構えと、理想の国家像が示された十七条の憲法を定めた。

 

日本

大宝2年の遣唐使は日本にとって重要な意味がある。我が国が唐に対して日本という国号を称したのである。これは、我が国が対外的に日本を名乗った最初の例である。

 

男系

天皇皇位継承の原理は、血統である。これまで皇位は男系により継承されてきた。父と子の間の皇位継承を男系継承という。

つまり父が天皇あるいは父の父が天皇もしくは父の父の父が天皇というように、歴代天皇の男系の血筋を受け継いだ人しか天皇になることができない。

 

上皇

上皇とは元天皇のことで、正式には太上天皇というが、これを略して上皇という表現が用いられる。

 

時代

飛鳥に都があったのが飛鳥時代、奈良に都があったのが奈良時代、そして平安京に遷都してから壇ノ浦の戦い平氏が滅びるまでが平安時代である。

 

下記書籍参照